「とおりゃんせ」はご存知でしょうか。そう、あの有名な童謡ですね。誰しもが一度は耳に入ったことがあるでしょう。
そんな有名な童謡、実は、都市伝説があるんです。
「聴いたことあるけど、どんな内容だったかな」
と思っておられる方も多いと思います。そんなあなたのために、「とおりゃんせ」の歌詞、歴史、遊び方、都市伝説も踏まえて紹介致します。
他の童謡が気になる方は下記の記事を参照ください。
とおりゃんせの歌詞
今では聴くことも殆ど無くなったのではないでしょうか。信号機のメロディーくらいですかね。歌詞をしっかりと覚えている方も少ないのでは?それでは歌詞を載せますね。
歌詞を読み返すと、「とおりゃんせ(通りなさい)」と促す門番と、天神参りの子連れの親とのやりとりのように思えますね。
とおりゃんせの歴史
「とおりゃんせ」は江戸時代後期ごろを起源に持ち、当時には殆ど歌詞が完成していたのだとか。江戸期には「天神樣の細道」と呼ばれていたそうです。
全国各地で様々に歌われていたものを、大正期に本居長世が編曲、歌詞の一部を改変、レコード化したものが有名になったそうです。
神奈川県小田原市南町の山角天神社、神奈川県小田原市国府津の菅原神社や、埼玉県川越市の三芳野神社が舞台であるという説があります。共に発祥の碑があるそうですよ。
とおりゃんせの遊び方
「遊び方があったんだ?」と思われた方も多いのでは?そう、あるんです。知っている方も昔を思い返しながらお読みください。
とおりゃんせ都市伝説
今まで、歌詞、歴史、遊び方と紹介させていただきました。いよいよ「とおりゃんせ」にまつわる都市伝説を紹介させてもらいましょう。諸説あるため、明日使える話題のタネ程度の御覧ください。
生贄説
神社の門番と、子どもを連れた母親との掛け合いを歌にしたものといわれています。
門番に「天神様にお参りするのはいいが、帰りは怖くて危険だよ」と止められていますが、母親は「それでもいいのです」と答えていますね。
なぜそう答えたのか…それは
子どもは神様に生贄として捧げた為、子どもはいないからです。
帰りは母親1人になるわけですね。
昔は天災、不況などが続くとそれを鎮めるために神様に生贄を捧げていたそうです。
七五三説
昔は食が豊かではなく子どもに十分な栄養を与えられなかったため、赤ちゃんのうちに死んでしまうことも多くあったそうです。
そのため、生命の危険度がある程度なくなる7歳を迎えると、その成長が祝われたのです。
日本でお馴染みの行事「七五三」として今でも残っています。
かつては、「7歳までは神の子」とされており、それを過ぎたら神の子ではなくなってしまうと信じられていたそうです。
天神様にご挨拶した帰りは「神の子」ではなくなる、神様の御加護を受けられないため、怖いというわけです。
単純に門番が怖い説
三芳野神社は川越城の城郭内に移されたので、「お城の天神さま」と町の人からは呼ばれていたそうです。
城の中なので、庶民は簡単に参拝をすることができなくなりました。当時、密偵などによる機密漏洩が多く、場合によ追ってはお家取り潰しなどという事態にもなりました。
そのため、時間にも制限ができ、見張りの門番まで付きました。密偵が紛れ込と大変です。
入場の際も「御用のないものとおしゃせぬ」ということから、理由がなければ入れないことがわかります。
それでも、入城する者もいたでしょう。「いきはよいよいかえりはこわい」の理由は、城から機密情報を持ち出す可能性があることから、入城時よりも、退城時の監視の目が厳しくなるため、という説です。
「こわい」は方言説
「疲れた」⇨「こわい」と言う地方があるそうです。
昔は移動手段は徒歩だけであり、道も舗装されていないため、神社に向かうだけでも相当の距離を歩いていたと想定できます。そのままの意味で解釈すると
「最初は元気だけど、たくさん歩くから帰りは疲れる」
と解釈できますね。1番平和な都市伝説でしょうか。
まとめ
発祥は「山角天神社」「菅原神社」「三芳野神社」説
都市伝説は多種多様だが、方言説が和やかで好き
以上が「とおりゃんせ」の都市伝説になります。少しでも興味を持ってくださり、深く知って頂けたのであれば幸いです。あくまでも明日使える話のタネ程度に捉えてくださいね。
他にも、【童謡の都市伝説11選‼︎】一挙紹介します‼︎あなたの知ってる歌も入ってます‼︎という記事もありますので、興味がある方は是非ご一読ください。
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