あなたは怖い話は好きですか?
老若男女、一度は聞いたり話たりなど、怪談に触れる機会はあるのではないでしょうか。
そしてこれからお話しする怪談こそ耳にした事がないという人はいないでしょう。
【学校の七不思議】興味が唆られますよね。
今回は、【学校の七不思議】「動く二宮金次郎像」の怖い話を紹介します。
夜中に読むことはお勧めしません。眠れなくても責任取れませんから。
それでは、ごゆっくりお楽しみください。
他の怖い話も気になるという方は下記の記事を参照ください。
【学校の七不思議】「動く二宮金次郎像」
それではまず、「動く二宮金次郎像」とは何か?からお話ししますね。
「動く二宮金次郎像」とは何か?
二宮金次郎って誰?
尊徳という名前は亡くなってから与えられたものであり、「たかのり」と呼ぶのが正式名称だが、「そんとく」と読むことの方が多いそうです。
また、本来は「金治郎」という字ですが、「金次郎」とされることが一般的となっています。
何故二宮金次郎の像を学校に置く?
- 当時、自主的に国に奉公する国民育成を進めており、自力で貧困から立ち直り幕府の為に働いたからモデルとした
- 勤労・勤勉のモデルとした
上記の二つの説が有力となります。
動く二宮金次郎像に害はある?
結論から言うと、害はありません。
二宮金次郎像が何をするのかをまとめてみました。
- 血の涙を流す
- 図書館に本を借りに行く、または返却しに行く
- 台に戻る際はアクロバティックな動きをすることがある
となっています。上記を見るだけでも、苦労や勤勉さが窺えますね。
アクロバティックな動きをする意味はわかりませんが。
【学校の七不思議】「動く二宮金次郎像」
「動く二宮金次郎像」とは何かを説明させてもらいました。それではお待ちかねの怪談をお話ししたいと思います。
それでは、【学校の七不思議】「動く二宮金次郎像」のはじまりはじまり〜
【学校の七不思議】「動く二宮金次郎像」
これは私が小学生の頃体験した、世にも奇妙な物語になります。
あまり勉強が得意ではない私は、教育熱心な母親に毎日のように自己学習を強制されていました。
自己学習なのに強制であるという点は、突っ込んでもどうしようもないことなので隅に置いておきますが、この自己学習が当時の私にとっては苦痛そのものでした。
何をどう教えるというような教育方針は皆無であり、母親が行うことはたった一つ。
教科書や参考書を私に渡すことだけでした。
母親から口頭での確認は行われますが、勉強の過程である、ノートや教科書への書き込みなどのチェックはなく、アドバイスなどももちろんありません。
「ならば無視すれば良いのではないか」そう思うかもしれませんが、私にはそれができませんでした。
何故なら、単純に怖かったからです。何かでこっぴどく怒られた記憶はありません。
ですが、教科書や参考書を渡される時、口頭で確認される時、その端端で感じる威圧感に恐怖を感じたのです。
普段とは違い、低く力が篭っている声、真っ直ぐとこちらを見つめてくる瞳、肩に置かれた手の重さ、全てが私を圧してのしかかってくるように感じました。
その威圧感から、私は子どもながらに母親の言うことを聞かなければならないと律儀に自己学習を行って来ました。
この体験も、そんな鬼みたいな自己学習に勤しんでいる最中に起こったものです。
私の通う小学校には、「学校の七不思議」というものがありました。「トイレの花子さん」や「動く人体模型」など、子どもながらに胸が弾むような話が盛り沢山です。
その中でも、「動く二宮金次郎像」というものがあり、今回の話のテーマとなります。
二宮金次郎は、校門と玄関のちょうど真ん中に設置されていました。
薪を背負い、本を読みながら立っている姿からは、勤勉・勤労・生真面目などの好青年を印象できるワードが連想されます。
実際に、連想したワードそのものが当てはまるような生涯を送ったそうですが、それを知ったのはもう少し大人になってからでした。
二宮金次郎像を見た私の感想は、「大変そう。かわいそう」というものでした。
ただでさえ、自己学習を強制されている私自身が苦痛だったというのに、更に働かされている金次郎が不憫でならないと思っていたのです。
下校する際に目に入る金次郎と自分を重ねながら暗い気持ちで帰路に着くのが日課となっていました。
その日も、同じように金次郎を一瞥しつつ帰るつもりでしたが、思いがけないことが起こっていました。
そこにいるはずの金次郎がいないのです。
「重い銅像を動かすことができるのだろうか」とそう思っていました。
誰かが何かの用事で動かしたのだろうと。
ですが、それは間違いであるということにはすぐに気づきました。
金次郎が、玄関から出て来たのです。しかも堂々と。
手には、読み終わるまでに到底何ヶ月かかるかわからない本が掴まれており、軽快なリズムで歩を刻んでいます。
私は呆気に取られてしまい、その場に立ちすくんでしまいました。
いつもは私が金次郎を一瞥しながら帰るはずなのに、今では逆の立ち位置になってしまっています。
「目が合ったらどうしよう」そう思いましたが、杞憂でした。むしろ、違う心配をすべきでした。
金次郎は本に夢中になっており、私の存在には気づかず、正面から衝突してしまったのです。
銅像と人ですから、当然私は勢いよく地面とキスをする形となってしまいました。
あまりの衝撃と痛みに泣いてしまいそうになりましたが、そんな思いも霧散してしまいます。
金次郎と目が合ってしまったのです。
その瞬間、全身の毛穴が粟立つ感覚に襲われたのを覚えています。
私は振り返ることなく一目散に逃げ出しました。ですが、膝を打撲したためか、足に力が入らず数歩進んでまたこけてしまいました。
「もうだめだ…」そう思い振り返ると、金次郎がゆっくりと近づいてくるのが見えました。
勉強を邪魔したことを怒っているのか、ぶつかってしまったことを怒っているのかはわかりませんが、私には仕返しに近づいてくるように感じました。
金次郎が足元まで来てしまいました。私は咄嗟に目を瞑り身構えてしまいます。
ですが、どれだけ待っても何も起こることはありませんでした。
しばらくして恐る恐る目を開けてみます。
すると、金次郎が私に何かを差し出しているのが見えました。
金次郎が手に持っていたのは、私の参考書でした。正確には、母親からもらった自己学習用の参考書です。
こけた衝撃で落としてしまったのでしょうか。それを金次郎が気にかけ持って来てくれたのだと理解するまでにそう時間はかかりませんでした。
私は金次郎から参考書を受け取り、その後の金次郎の行方を見守ります。
金次郎は踵を返し、自身がいつも立っている台まで歩いて向かいました。そのまま攀じ登るのかと思いみていましたが、さすがは金次郎。
軽快なステップを刻んだかと思うと、首を垂れると同時に地面を蹴り上げ、腰を捻り、回転しながら台へと帰着しました。
そのまま普段と同様のポーズを決め、金次郎は動かなくなりました。
勉強熱心な金次郎、拾い物を届けてくれる紳士な金次郎、アクロバティックに台座に戻るお茶目な金次郎…
次動く時は、参考書は拾わなくていいからね。
これが私が体験した、世にも奇妙な金次郎との物語でした。
まとめ
「歩きスマホを助長する」「歩きながら本を読むのは危険」という理由で撤去されている所が多い
七不思議の中では、比較的穏便に済む内容となっている
現代では設置されている所の方が少ないため、七不思議から撤廃されるのではないかと危惧される
以上で、 【学校の七不思議】「動く二宮金次郎像」を紹介※眠れなくても責任取れませんを終わります。
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